山の頂上を目指す

先日参加したとある研究会で登山の比喩が出てきた.日本語教育において,完璧とは言えないけれどとりあえず使えるレベルになる簡単な方法を教えて,そこから先のちゃんとした理解のレベルへはこれまでのような地道な方法で教えた方が良いのではないか,という話で,この過程を「山へ登るときにケーブルカーで登って,そこから先へ行きたい人は歩いて登るようにすれば良い」という比喩で説明していた.
それに対する意見に「ケーブルカーで登ったのは良いけれど,頂上にたどり着くためには一度少し降りなければいけない,という状況になるのだったら意味ないのではないか」というものがあって,そこから「間違っているとは言えないけれど,正しいとも言えない」ということを教えるのはどうか,という話が少し出てきて,思うことがいくつか浮かぶ.
まず思ったのは,「別にそれでも使えるのであったら良いんじゃないの?」というもので,これはそもそも自分は言語教育には携わっていない部外者だからというのがあるけど.で,次に思ったのは「それが嫌ならケーブルカーのレールを引き直せばいい」ということ.まあ,比喩での議論なので微妙にずれていると言えばずれているのだけれど…… なんか建設的な議論じゃないなあ,と.
そういえば,日本語教育,というか母語話者が母語を非母語話者に教える,というのは他のと比べて,教える側が教わる側になったことがないという大きな違いがあって,それが色々関わっていそうな気がする.